三宅裕司の70歳を記念して、明治大学落語研究会の後輩である立川志の輔さんと渡辺正行さんからプレゼントされた「三宅裕司70歳記念落語会」が12月23日(木)に新橋演舞場で開催されました。
神田神保町に生を受け東京のど真ん中で様々なエンターテインメントを享受し育った生粋の江戸っ子・三宅裕司は、中学から落語に親しみ、明治大学在学中は落語研究会に所属し<紫紺亭志い朝(しこんていしいちょう)>の四代目を襲名。その名を2学年後輩の立川志の輔さんが五代目として継ぎ、さらにその2学年後輩のコント赤信号・渡辺正行さんが六代目を継ぎ、<紫紺亭志い朝>は今や明治大学落語研究会の大名跡となりました。
明治大学落語研究会が縁で出会った3名が、それぞれにとって思い出深い場所、新橋演舞場で「たった1日1回限りの特別公演」が開催されたのです。
「無責任一代男」の軽快なメロディが流れる中、胸に「4」「5」「6」のワッペンがついているシャツを身に纏った3人が登場すると、満席の会場からは大きな拍手で落語会がスタートしました。
その拍手を受けた三宅は「この拍手でずいぶんハードルが上がったなぁ」と早速笑いを誘うと、三宅の両サイドにいた後輩の立川さんと渡辺さんから「おめでとうございます」と、70歳を迎えた三宅を祝い、さらに大きな拍手が沸き起こりました。これから始まる特別な時間に会場の高揚感も一層高まったようでした。
<紫紺亭志い朝>の名を受け継いでいった際のトークでは、立川さんが「三宅さんの落語が好きで、その落語を続けていきたいと、三宅さんのところにお願いにいった」とエピソードを話すと、「志の輔の口からそんなこと言われると、このあと(の落語が)めちゃくちゃやりにくい」と三宅が慌てる場面も。<紫紺亭志い朝>をめぐるそれぞれの当時のエピソードを、笑いを織り交ぜながらたっぷり聞かせ、3人の絆を見ることができました。
この会を開催するに至った経緯は、70歳を目前にした三宅が「今までやったことのない挑戦として落語会をやりたい」と思い、明大落研の後輩である立川さんと渡辺さんに相談。すると2人から「わかりました、三宅さんの為にひと肌脱ぎましょう」と快諾し、新橋演舞場という最高の舞台を用意。三宅を喜ばせ、やるならば特別な、記念の時にしか実現しないであろう「志い朝の会」をやろうと、なんと28年ぶりに実現したのです。
トークパートの最後、3人での「開演です!」の掛け声で いよいよ落語会がスタートしました。
まず落語を披露したのは六代目紫紺亭志い朝の渡辺さん。「時そば」を渡辺らしい茶目っ気を混ぜながら披露し、トップバッターを飾りました。
次に登場したのは五代目紫紺亭志い朝の立川さん。開口一番「私だけプロなんです」と会場を沸かせ、「八五郎出世」を披露。おめでたい一席を圧巻のステージでプロの腕を見せ、三宅にバトンを渡しました。
そしていよいよ本日の主役・四代目紫紺亭志い朝の三宅裕司が登場。「鰻の幇間(うなぎのたいこ)」を披露し、50分にもおよぶ大作をやり終え、幕を閉じました。
再び幕が上がると、再度3人揃って高座に登場し三宅から感謝の言葉が述べられ、三本締めでお開きとなりました。
終演後、三宅は「やっと終わった!これで今日からゆっくり寝られる!」と叫び、立川さんは「長尺のネタをよく演られた。お疲れ様でした」と労いました。そして「良いお客さんで良かった」と3人が口を揃え40年以上の絆を見せた舞台をあとにしました。
伝説となったこの日1回限りの落語会の様子は、三宅裕司YouTubeチャンネルにて年内にアップされる予定です。ぜひチェックしてください!